2015年3月4日水曜日

「ぼくの中の他人」の力を利用して立つ。

これまでゼミで読んだ本と、これから読む本。

以前、「ぼくの中の他人が言う」という表現を聞いて「ああそれいいな」と思った。

例えば「『ある程度お金ないと結婚できないよね』と、ぼくの中の友人が言う」とか
「『次の仕事はどうするんだ』と、ぼくの中の親や親戚が言う」みたいに使う。

別に実際に言われているわけではないけれど(言われている場合もあるけど)、
「そう言われているような気がする」場面で使うと、
感じているプレッシャーの発信元がわかり、自分との位置関係がはっきりする。
発しているのはあくまで「ぼくの中の他人」であると相対化できる。

参加者を募って4月に開催することになった「アリスゼミ」の告知文を書こうとしていて、
なかなか書けなくて、冒頭の言葉を思い出した。

ゼミをやることも、「ぼくの中の他人」が増えていく過程なのではないか。

この半年で読んだ保坂和志が、椹木野衣が、エンデが、網野善彦が、
ぼくに対して確かな存在感をもって等間隔に居座っている感じがあって、
こうなると相対化はどんどん進んでいく。
冒頭に書いたような「ぼくの中の他人」の言葉に倒れ込んでしまわなくてすむ。

一方から引っ張られる力を自覚して、正反対の方向から働く力も利用して、
バランスを取って立っている感じ。

特定の主義や方向性に全面的に倒れ込んでしまわず、
でも自分の力だけで立っているわけではなく、それぞれの方向の力を利用して立つ。

ゼミ自体には目的はないけど、
ぼくがこうやって生きていくためにはゼミが必要だというのは言える。

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